無発作期間、今日で193日目。
主治医からは◯日目とか数えるのやめなさいと言われているのですが
つい記念日アプリを開いてしまいます。
開かないように、目につかないように
iPhoneでは目立たない場所にアプリを置いているのですが
何日か経つとチラッと見ちゃいます。

最近毎日暑い日が続いていますね。
娘は電車通勤ですし、電車から降りて職場は徒歩10分弱かかります。 
しかも大きな道路沿いを長く歩くので日陰がありません。
帽子かぶれば?と言っているのですがどうしてもイヤだと…。
真夏は大丈夫なのでしょうか。本人に任せますが。
ま、学校も同じ感じで通学していましたけどね。

来週は月に一度の娘のモニタリング会議があります。
今回で最後です。
社会人になってもうすぐ丸3ヶ月。あっという間でした。
4月はなかなか職場に慣れず
作業に本気で取り掛かれなくて結構大変でした。
学校の時と同じくらい電話がかかってきて…。 
ここでも電話のベルに怯えていくのかと思いお先真っ暗な母でした。 
5月に入って電話が徐々に減ってきて
半ばを過ぎた頃には、終業まで仕事に真面目に取り組んでいるとの説明を受けました。

考えてみると、高校(特別支援学校)に入学した時も
入って2、3日目で気分が落ち込み、朝行きたくないと言われ
娘を学校の門まで連れて行く日々が何日も続いたことを思い出しました。
行ってしまえば楽しいのでしょうが、朝起きてから家を出るまでの間に
行きたくない暗い気持ちになってしまっていたようです。
学校に連れて行かれるとしょんぼりしているわけにいかず
気持ちを高めて楽しんでいたようなので
学校に行きたがらずに毎朝私が学校まで連れて行っていると担任の先生に言っても
なかなか信じてもらえなかったこともついでに思い出しました 笑
連れて行っていると言えば聞こえがいいですが
私の気持ちとしては、娘を無理矢理連れて行くという感覚でした。 
ダンナは「学校行け!」と毎朝怒っていたし
私は「皆楽しそうに通学しているのにどうしてウチの子は」と落ち込み
毎朝娘の様子と顔の表情を見るのがある意味怖かったですね。
もちろんそんな気配は一切見せないようにはしていましたが。

娘の「行きたくない」は中学の頃に始まりました。
中学校生活3年間の中で、その期間は決して長くはありませんでしたが
これが登校拒否か…と知りましたし、子供の「行きたくない」は根が深いということも学習しました。
一番はやっぱり友達関係が理由でしたが
支援学級ということでこのようなことは珍しくないようで 
親の私が真剣に悩んでいたからといって先生たちも同じということはなく
当たり前のように家まで迎えに来てくださったりしたことも数回ありました。
そしてそれはウチの子に限ったことではなかったです。
支援学級じゃなくても、通常級に通う子供たちでも
思春期は皆難しいですよね。色々と。 

と、話が長くなってしまいましたが
考えてみると学校でもウチの娘はそういう子だったなぁと思い出し
環境が変わると慣れるまでに時間がかかる子なのかもしれないです。
そして、ナイショですが、登校拒否はダンナも同じだったようですよ。
しかも本格的だったみたいです。義両親の話を聞く限り 笑

大人しかいない職場ですが、最近は声をかけてくださる方や仲良くしてくださる方
時々洋服を褒めてくださる方もできたりして
少しずつ職場に慣れてきている娘です。 
娘が元気に楽しんでくれることが私の一番の幸せなんです。
そして、少しずつ子離れすることが私の一番の課題でもあります。
できるかなー。
いや、娘のためにもやらねば 笑


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