無発作期間、今日で90日目。
もうそろそろ発作が起きる頃かも...と、誰も口には出しませんが、私の心の声が...

6歳の時、テグレトール+マイスタンで驚くほどピタッ!!と発作が止まりましたが
今はあの頃のような手応えは私はあまり感じていなくて
「発作がたまたま空いている日数」としての捉え方をしています。
主治医の先生もきっとそう思っているでしょうから
次の診察も「(発作は)どうだった?」の質問から始まると思います。


先日、高校生活最後の面談がありました。
これで本当に卒業式が近づいてきたという実感が湧いてきた感じです。

特別支援学校高等部...
ウチの娘は地域の支援学校なので、受験して入る能力の高い支援学校ではありません。
正直、小さい頃は受験させたい気持ちはありました。
そのためにも高い授業料を払って6歳から高校入学まで塾に通っていました。
塾といっても、もちろん一般的な進学塾ではありませんけどね。
中一で再び発作を起こすようになって
薬の影響で色々問題も出て、どんどん発作もひどくなったりして
受験どころではなくなりました。

娘が通った支援学校には色々な生徒さんが通っています。
知的障害があるようには見えないお子さんや
スクールバスで通っているお子さん
ヘルパーさんの送り迎えで通学されているお子さんなど本当に様々です。

教員も然りで、通常の学校と変わらないと思います。
当たり前ですが先生だって様々です。
障害に特化している先生、それぞれの生徒に合った対応や指導がきちんとできる先生
てんかんの知識を持っている先生や障害児の保護者の気持ちを察してくれる先生。
そして、その真逆の先生 笑

子供自身も学校生活も、担任次第で変わると思います。
それは支援学校だろうが通常学校だろうが同じですよね、きっと。

娘のクラスは8人。
担任は男性・女性一人ずつの計二人。
全学年、全クラス共通です。

ウチの娘は楽しいことが大好きです。
楽しくしてはいけない時も楽しんでしまってよく怒られます。
おしゃべりだし、人が好きだし、集中力に欠けるのでいつも人のことを見ています。
困ったチャンです。

手先が不器用なので細かい作業は嫌いだったのですが
支援学校の「作業」で色々なことができるようになった気もします。
美術や家庭科の作品を家に持って帰って来るのですが
「コレ、本当に一人で作ったの?」みたいな物も時々あります 笑
娘の作品は実物も家の至る所に飾っていますが
全て写真を撮ってEvernoteしてます。


保護者が担任を選べないように、担任も保護者や生徒を選べません。
お互いもしかしたら不満もあるかもしれませんが
3年間色々とお世話になりました。
特にここ数年は娘の発作が頻発していたので
健康なお子さん以上にお手数おかけしたと思っています。

ただ、娘の一瞬のピクピクのちっちゃい発作は
本人が申告しても否定されるか信じてもらえないことが多かったので
それは本当に残念です。
本人が発作だって言っているんだから否定して欲しくないのに。
先生はいつも信じてくれないって娘から聞かされていました。
嘘をついていると思われているのでしょうか。
都合が悪くなると発作と言えばいいとか。
(あー、私もどんどん嫌な人間になってます。)
私の目の前で担任にピクピクの発作を起こしたと報告している娘に
「発作は起こしていません」と娘に言い返している先生を見て
いつもこんな感じだったのかと悲しくなっちゃいました。

思い起こすと中学の時もそうでした。
中学は支援学校ではなく通常の中学校の中にある支援学級でした。
てんかんの知識のある先生も、発作を見た経験のある先生もいません。
発作時はもちろん、発作じゃなくても学校からの電話がひっきりなし。
電話の音恐怖症になっていた私でした。
当時も数秒のピクピクの発作をなかなか信じてもらえなかったですね。
親子で嘘ついていると思われている感じがして何度も嫌な思いをしました。
そのうち、もう言うのはやめようって、そう答えを出した私です。
娘にもピクピクの時は先生に言わないでと教えたりして。
入学する度に、わかりやすいてんかんの本を学校に渡してきたのですが
誰も読んでいなかったことを知ることになります。
担任に一番読んで欲しかったのですが。


倒れるだけがてんかん発作じゃないんです!
学校の先生は本当に勉強して欲しい!
お願いだから。


...と言いたいけど、今まで何度も何度も担任に言ってきたことです。
もう諦めました。
波風立てずに卒業式を迎えようと思います。
残念ですが。


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